日
11
3月
2012
激動
私の好きなミュージシャンのcutt氏の話で印象深かったコメントを一つ。
「芝居でも音楽でも、パフォーマンスを伴うアートってのは、一つの言い方をすると、大きな嘘をお客さんに共有してもらうって事」
で、
「だけどその嘘(を共有しますよ、という約束)ばかりだと、疲れちゃうというか、その世界観を少し破る事によって緊張が緩和され、笑いになったり、音楽だと盛り上がったりになるんですな。」
とのこと。
そして、
「その大きな嘘を共有する事によって、その裏側(奥)にある「本当」を逆説的に表現する…というのが、僕の考える(お客さんと一緒に作りあげる)芸術の機能な訳です。」
だそう。
なんかとてもわかる!
まず鑑賞者が嘘を受け入れてあげようとするのは好意的に感じようとするという歩み寄りであり、それに対して作者が「世界観を少し破る」瞬間というのは鑑賞者に対する感謝の表れみたいなもので、そこには双方すごく愛があるなあって思います。この現象は美術に於いてもとても重要な魅力だと思います。私は良い絵を見たときにこれがあるのです。
絵「こんなのもどうかな?○△なんだけど」
私「え!あなたすごいよ!それもしかして□×?」
みたいな絵と自分との心の会話があるんです。それが楽しいのです。
ここのところというか、これからしばらくずっとハードな日々が続く模様。
正直制作する時間がありません。生活で精一杯です。
しかし、絵を描かないと畑が違えど真剣に取り組んでいる方々とガチでぶつかれないのも事実なのでやりくりして頑張りますぞ。
日
15
1月
2012
モヤモヤ
まだ年が明けて2週間しか経ってないというのに、悶々ループに体が拒絶反応。優しくしてあげないと…
さっき運転中に、空の低い位置にすごく大きくてキレイな月が見え隠れしてて、なんかウルッときました。
この超真冬に、木や建物や人がみんなうんざり寒さに耐えてる風景のなかで、月(と星)だけハイテンションな感じがして、カッコイイなあって。何より小さな悩みや欲望に踊らされてる最近の自分に反省。まあ色々と忘れた頃に実を結ぶはず。
やっぱり薄塗りにすると抽象が苦にならないなあと再確認…
厚めの絵の具を置いた瞬間の浮いてる感じに妙に冷める。やましい気持ちになるのかもなあ。
例えばイラスト描こうとしたらやましくなるのは私にイメージの着地点がないからな気がするんだけど、それと同じことなのかな。あれもあり、これもありって魔が差して迷宮入りしてくんだなあ。そんなんなら描く意味ないわ!
一枚の絵が完成するかしないかは、四角に対する自信と愛情がずっとあったかどうかだって私は思う。
自分だけでなく、だからいいものには時間を掛けないで出来たものが多いのかも。当たり前のことだけど、結局の所世の中を動かすのは集中力だと思う。クリアな集中力を長く込めれる人が何につけてもプロなんだろな。鍛錬。
あーさくらこさんが素敵すぎるっ…
土
31
12月
2011
大晦日
今年は長い1年でした。
去年・一昨年より楽しいことやドキドキすることがたくさんあったので、振り返るとあっと言う間だったと言えるかと思えばそうでもないんだなあと。まだ2011年なんだ!って途中何回も思った1年でした。転職・個展・引越し等で色んな反省というか次はこうしてみようというものが見えて、忠実に地味に本気で禁欲を強いた後半戦でした。
来年ではないんですが、昔から自分の中で32歳・33歳は成人より大切な節目の年齢だと考えていたので、その時に悔いのないように31歳の2012年で少しでもレベルアップします。
全てに妥協しないでどこまでやれるかYEAR継続!!
すでに折れそうですけどヽ(・∀・)ノ
月
28
11月
2011
きわどいメニュー
1枚の絵に以前の自分の技法と最近の技法を両方取り入れてみたら魅力も単純に倍になるのでは?と安易に思い、秋からやってみてます。
何しろ同じ人間による表現だから、嫌でもまとまるだろうと思ってましたが、その相容れない気持ち悪さったら自分でもビックリでした!でもどうしても、ふんわりとぐにゃぐにゃを融合させてみたかったので、何度か壊して粘ってみたところ、何とか融合できそうな気がしてきました。
音楽で言えば、ゴリゴリでツーバスの高速ナンバーでアコギもアカペラの箇所もあって振り付けもアリでジャンルに分けられない曲みたくしたいんです。食べ物で言えば、ドンキーのパインバーグディッシュとかロイズのチョコがけポテトチップみたいな意外なものが共存した一品にしたい。色んな味がフルコースで順番に出てくるんじゃなくて一つのお皿にいて欲しいなあ。でもバイキングの様にただ並べるんじゃなくて、隠し味程度の控えめさでもなくて、やっぱフルーツの乗ったピザとかサラダみたいなのがいいなあ。でもそれって苦手な人は苦手なんだろうなあ…。でもそのギリギリメニューになり得るポジションってとても愛おしいなあって思います。 芸術に於いてはその異色さって強みなんじゃないかなと思うんです。
日
02
10月
2011
遠回り
昨日鈴木涼子さんのアーティストトークを拝聴。
とても勉強になりました。今作に至るまでのお話やジェンダーへの考え方も順を追って説明して頂いて、楽しく聞くことができました。男性に女性っぽいポーズを取ってもらったり、自らと合成する過程はとても面白そう!と思いました。
「失敗するとわかってても一度試したものを見ないと気が済まない」「正解のコマを知ってても他のコマを動かしたい。で、時期が来たらようやく蓋を開ける」的なお話にまたも心を奪われました…。
あとまた自分について徒然なるままに
「遠回りについて」
私の場合、後回しにしてほっといた物事は結局あとでまた立ちはだかります。
で、あっこれはもう逃げられないなと思ってようやく対処するわけですが、後回しにしただけあってだいたい不得意な物事だし超時間がかかります。
そしてそれを解決しよう・理解しよう・習得しようという当初の目的は手ごたえのないまま履修し終え、代わりに関係のない収穫をたくさんもらったりします。自分を発揮できない状況の中でなんとか引っ張り出した“不得意の中のマシな分野”みたいな。
でもその関係のない予期せぬ賜物こそが、自信であり財産だと思うのです。だって偶然授かった力だから人に教える術もないし。
結局自分は優先した物事の元に戻っていきます。そして“得意”に“不得意の中の得意”を足した分削ぎ落とされたオリジナルの中で残った部分は、切っても切れない自分の核心部分であるとようやく納得できる。そうして遠回りをしてレベルアップをするんだろうなあって思うのです。
火
20
9月
2011
向き合っている人
何もしていない人に限って偉そうだと思う今日この頃。
実際は何もしていない人なんていないので、どちらかと言うと「自分と向き合っていない人」のことですが、そういう人の使う物差しって自分の経験から生まれたものじゃないので、何を言っても信用できない。か、何年も昔にストップして固まってしまった腐った経験の結晶だったり、そんなものを基準に人様を褒めたりけなしたりよくできるなあって思います。自分と向き合っている人は自分のことで精一杯で人のことなんてどうでもいいはず。
最近とても素敵な美術界の方々とお会いしたのですが、あまりに皆さんキラキラしていて、優しくて真面目でひねくれていて、本当に目からウロコでした!
具体的な内容は自分の心だけに留めておきますが、あんなに健全な考え方で美術の道をずっと進んできたなんて、どれほどに強い精神力なんだろうって… きっと大変だったはずなのに、「お前ら若輩者に何がわかる」的な片鱗は微塵も出さずにいてくださって、ただただ仏を見た気がしました。
美術やってる人なんて、認められる・られないに関わらず、小汚くて性格悪くて常に孤独で親不孝者なだけなんじゃないかって数千回疑ってきましたがw、そんなことないそんなわけないって思い知りました(;;)
月
12
9月
2011
くだらないひとりごと
やりたいことができないのと、やりたくないことをやってるのと
どちらが辛いか。これ両方とも究極に辛いですね。
私がどちらが耐え難いかと言えば、やりたくないことをやる方です。
会いたい人に会えないより、会いたくない人に会う方がやはり嫌です。
きっとやれなくても会えなくてもやれるかもしれないし、会える気がするからいいんだろうと思います。ちなみに私はこの心理状態で絵を描くのがベストです。
でも、やりたいことができるなら、やりたくないことをやるのも平気だったりします。
会いたい人に会えるなら、会いたくない人に会っても全然大丈夫です。
でも、やりたいことができない上にやりたくないことをやり、会いたい人に会えない上に会いたくない人に会ったら、やりたいことも会いたい人も全部いらないって思います。
そしてしょうがないから絵でも描いてみるのです。
土
27
8月
2011
さよなら平山ビル
4年半居座ったアトリエ「平山ビル」を無事に退去。休日に数時間いるだけでしたが、思えば大学より長くいたんだなあ。
トイレ無し物件で、他の部屋は倉庫として使われている元診療所という謎の建物でした。色々不便で大変でしたが、広くて集中しやすく自分に合っている空間でした。大事な精神的逃げ場としてお世話になりました。近隣のコンビニや飲食店のトイレも、もう使用しないと思うと若干悲しいです。
でもやはり20畳位ないと、自分自身のオーラで空間がいっぱいになってしまい、客観性が失せがちな気がします。天井の高さに関しても。単に引いて見れるからだけじゃなくて、絵を描く場所には開放感が大事なのかも?とも思います。次の我が4代目アトリエの広さは半分なので、集中の仕方に気をつけようと思います。少なからず、自分が色々な環境でやってみて得た「心構え」を大切にやってきます。
金
12
8月
2011
心境
ただ今アトリエ引越し中です。早く落ち着いて絵を描きたいです…
最近身辺に変化があったので、なんとなく自分の心境と絵の具合について考えました。
日々を4つの心持ちに分けますと、
①前向きに手に入れたい物があり、それに集中できる状態
②満たされていて幸福(戦線離脱)
③孤独(自由)
④絶望(束縛)
振り返ってみると、人に見せたいと思う物が出来たのは、決まって①か④の時です。
しかし、①の領域には他力の後押しがないと行けません。④は絵のことだけ考えれば良い状況ですが、ずっといる根性はなく、しばらくいると③に避難してしまいます。②にしてもやはりずっといるとつまらなくなり、③に足を踏み入れてしまいます。
けど実は③は一番安全な状態なのではないかと思ったのです。最低限の生活が保てて、②よりは立派っぽいと思われたりするもののパッとしない中途半端な状態です。
「③の状態では良い絵は1枚も描けない」というのを意識して、振りでも①でやっていきたいです!
土
30
7月
2011
自分が絵を描くときにないと満足できないもの
私が作品作りに今のところ必要不可欠だと思う要素を書いてみます。
①強コントラスト
②気ままな線
③奥行きの仕掛け
④話し掛けてくる感じが出てるか
①私は多分、モノクロの世界でも不自由なく生きて行けるんだと思います。明度の差に反応してしまうので、単色の彫刻や版画も大好きです。反対に「色彩」は大好きでも手に入れることが出来ない憧れの存在です。では自分が作るときになぜ立体でなく絵画を選ぶかというと、平面の方がイリュージョンも使用でき、体力がなくても対応できるのでやりやすいから、それだけです。
②線(筆致)は私が絵を見る時に一番気持ちいいと感じる要素です。爽快な線を目で追って行ったときに、その他の具象的な要素なり、色面なり、マチェールの主張だったり、色々な作家の仕掛け・効果に出会い、絵の中を一周する。その線の案内に身を委ねるのがとても快感なのです。「アヴィニョンの娘達」は目線の旅が永遠に終わらず、絵の前から離れられませんでした。デュビュッフェの作品なども、筆致をぐるぐるとずっと見ている内に、ただの顔料のキラキラに支配されている自分に気付き、離れると気分がすっきりしているというか、上手く言えませんが。 逆に線が汚い(横暴だ・自信がなさそうだ・堅苦しい)と、まず絵の中に入れず味わう前に帰ってきます。
③奥行については、ここ数年ハーフトーンと少しだけ仲良くなり、隠し味として施すことが楽しくなりました。大学を出てからもしばらくグラデーションとレイヤーによる奥行表現しかできない自分がとても嫌で試行錯誤しました。使ったことのない色相をダメ元で使用してみたり、素材と格闘している内に、コントラスト好きには後回しにしがちな中間色の色面の持つ力が実は効果的なのだと発見しました。これは現在覚えたてなので、毎回使わないと気が済まない状態ですが、また敢えて避けていた透明色も解禁しようと思います。
④ついでに私が好きな絵は「ねえねえ」と話しかけてくる(気がする)ものです。これはきっと必要のない現象なのでしょうけど、私は「作品」対「鑑賞者」が「人間」対「人間」になれたかどうかが、作品の価値を決める一番わかりやすい基準だと思っています。
水
06
7月
2011
まだ萌え
またGについて
「影王」の究極の出来について考えました。
曲はライブで味わってこそ、というのを今回改めて痛感しました。
CDでも好きだったんですけど、ライブの掛け合いのタイミングがドンピシャで気持ちいいのです。もちろん激戦練磨の方々なのでライブのために意図して作ってらっしゃるのだと思いますが、ほんとに神懸かった完成度!!
まずヘドバンの箇所が多い。オープニングから「GET HIGH~」まで(私は)→
そして再び「GET HIGH~」までずっと→
振り続けて、振ることが生きがい(?)みたいになった所で「GET HIGH~」の拳上げ連続の快感→
もう十分ハイテンションで無防備なところに「KAGE OU KAGE 影王」の入魂の叫びで男になりきっているところで、「勝つためじゃなく生きてきた」の潔いメロディと歌ってるKIBAさんのあまりのカッコ良さにいきなり“感動ツボ”を刺激され、激しいのとわけがわからないのと気持ちいいのとときめきが溢れて自我が崩壊するのです!!!
ほんとに真っ白になるのです!
また行きたいなあ。いや、もう満足です。でもまた行けたら最高だなあ。
火
05
7月
2011
G萌え
ガーゴイルを好きになって5年が経ちました。
もう十分です!十分幸せ貰いました!
なのにまたしても昇天のワンマン2DAYS!!
毎回ライブに行くと、なぜか1億円貰っちゃったどうしようって感じの気持ちになります。あり余る幸せをこれでもかと与えてくれるすごいバンドです。“お母さん、私を産んでくれてありがとう”って気になります。今回も大サービスでハードナンバー大放出でした☆
この筋肉痛と耳鳴りが一生続けばいいのになあ。 私が死ぬときは、ガーゴイル葬にしたいです。
インストアの握手の際、KIBAさんに「昨日のライブどうでした?」って聞かれて、「失禁しました」って言ってしまいました。苦笑されました。さらに「今日のライブは、もう死にます」と謎の宣言をしてしまい、さぞキモいファンだと思われたことでしょう。ホントに死にたい。違うんです!!私、好きなんです!!!!!
日
26
6月
2011
追っかけモード
ここ半年は絵モードで真面目にやっていたので、そろそろ追っかけモードを堪能します☆
ガーゴイル来札まであと6日。えへえへ。数か月浮かれないように気をつけてきましたが、いよいよ浮かれてなんぼですね。私はガーゴイルが活動している今の時代に生きられて、本当にラッキーだと思います。ガーゴイルのライブに行ける(行けた)と思うと、周囲の煩わしいこと何にも文句は言えません。幸せ者です!ああ、インストアもどうしよう!緊張!ああ、ライブで死にたい!ハレルヤ聴きながら死にたい!キャー
■今回のニューアルバム「鬼書」で私が好きなフレーズ集■
1、「KAGE OU KAGE 影王 勝つためじゃなく生きてきた
KAGE OU KAGE 影王 栄光無き君よ
KAGE OU KAGE 影王 守るためじゃなく生きている
KAGE OU KAGE 影王 無冠の王よ」(影王より)
2、「こんなところで このくらいで 倒れるなら(泣くのなら・諦めるなら・やられるのなら)
最初から立ち上がったりはしないさ」(ナックルアートより)
3、「ブルや爆薬使って 石橋自分で壊し 渡らなくて賢かったと 満足しているんじゃない?
必要なことだけして 生きてくなんて虚しい ただ長く生き残るために ここにいるんじゃないから」(VIVA!‐aso‐VIVA!より)
4、「人生なんてただの遊び場さ 子供の頃誰でも知っていた
たかだか死ぬまでの遊び場さ 夢中な時間以外もったいない」(VIVA!‐aso‐VIVA!より)
5、「人にきくのは自分の出した 答えを認めたくないから
そんなものは冬の太陽さ 照らしても暖めてはくれない」(骨の味より)
6、「人は神が作った不完全な失敗作なんかじゃない
神こそ人がでっちあげたつもりになってる失敗作でしかない」(蠱惑より)
7、「もしも君が言うべき言葉を いつか見つけてもきっと 忘れないで 僕と夢中で叫んだ言葉を」(マンボ・ジャンボより)
8、「生まれたての体が柔らかく やがて硬くなり死に往くように
僕らの心も柔らかく生まれ 硬くなれば死んでいってしまっているから」(いのち柔らかくより)
9、「勝ちの次はやるだけやっての負けさ そう悪くはないもんなんだぜ
経験と呼べるのは言い換えれば過ちさ 十中八句間違い無い」(jibuningより)
10、「鎖で繋がれて正しくいくより どんなに間違ってようが自由でいたい
出来ない理由は簡単だし たくさん出来るかもしれない理由探している」(極限解放より)
まだまだありますが、この位にしておきます!!!
しかし、40代半ばにして「どんなに間違っていようが自由でいたい」って本気で言えるのが素敵だと思います。ホント神です。ふええ
土
18
6月
2011
三十路
30歳に突入して、一つ決めたことがあります。
“人が傷つこうが、関係が壊れようが、自分の思っていることを言葉で伝える”ということです。
10代・20代の自分は対人関係に於いて、テレパシーによる結びつきを一番大切にしてきました。自分が考えに考えた結果を言葉にしたときの陳腐さが嫌で、万人に共通の単語でなんか思っていることが言い表せないし、だからこそ絵を描くんだと思っていました。
幸い自分の友人や先生、仕事場で出会った人達に、いわゆる空気の読める人が多かったので、お互いに傷つけ合うこともなく、相手の良い部分・自分と気の合う部分を上手に出し合ってコミュニケーションをとってきました。失礼な言動、不快に思われることは言わないで人の長所を見れるのが自分の特技だとも思っていました(明らかに悪いことや危険なことは勿論止めますけど)。何も言っていない人の思いを察する力は、素敵な能力だと思いますし、これからも大いに活用していきたいです。=モチーフを見る、イメージを膨らませる、絵を描くという行為に限りなく近いとも思います。
でも、空気を壊すということをずっと避けていた所、色々な場面で単に都合の良い人になっていることに最近ようやく気付きまして。そして、壊さなかった障害が大きく硬く蓄積して、身動きが取れなくなる、というか。病気が早めに治療しなかったから大事に至るのと同じですね。
思ったことは言います。関係なんてガンガン壊していきます。ピカソ(多分)が、「偶然上手く行った表現なんて、次にいとも簡単にまた現れる。だから壊して平気。」みたいなことを言っていた気がします。
金
03
6月
2011
絵を描く根本について
絵画でも、彫刻でも、写真でも、ライブでも恋愛でも何でも、良い作品を見たり良い時間を与えられた時に頭の中が真っ白になる快感があります。私は作品を見て感動すると、神秘の領域まで達したその作者に、敬礼の気持ちで一杯になります。ピカソでもジャコメッティでも草間彌生でも、“あなたについていきます!”と思ってしまいます。美術に於いては、言葉を用いずとも単なる物質・色・線の配置が、赤の他人にそんな呪術をかけられる可能性を秘めている、という点が魅力なんだと思います。
ハイアートというものが、すばらしい作品なのに、一般の人からすると敷居が高く敬遠されがちというのは不思議に思います。良い作品こそ、知識のない人が見ても、道端に捨ててあっても人の心を掴む力があるはずです。わかりやすくて、興味のない人をも思わず振り向かせる緊張感に満ちていて初めて芸術作品だというのが私の信念です。
自分に関して、また周囲の作家さんを見ても、真面目に美術を勉強して、色々な考えを吸収し、表現を突き詰めて行くうちに、頭でっかちになり、本来の「シンプルに快感を与える・与えられる」という意義を葬り去って突き進んでいると感じることがあります。新しい考えや表現を開発して玄人の間でわかりあっても、直で真っ白な人の高揚感を誘発できなければ、芸術家・表現者でなく学者・研究者なのだと思います。
ただ、様々な手法を試し、技を習得し、歴史を学ぶことで、感動を与える表現に至る道は開けて行くものだと思います。表現したい衝動が強くあっても、制約が全くなく、コントロールのきかない技術力では、単にストレス発散や自己満足の意義しかなくなってしまいます。人はそんなものを見せられても困るだけです。
生きる中でいつ表現せざるを得ない瞬間がきても対応できるように、普段からの学習・訓練、金銭や制作する場所の確保が大切なんだと思います。
日
11
3月
2012
激動
私の好きなミュージシャンのcutt氏の話で印象深かったコメントを一つ。
「芝居でも音楽でも、パフォーマンスを伴うアートってのは、一つの言い方をすると、大きな嘘をお客さんに共有してもらうって事」
で、
「だけどその嘘(を共有しますよ、という約束)ばかりだと、疲れちゃうというか、その世界観を少し破る事によって緊張が緩和され、笑いになったり、音楽だと盛り上がったりになるんですな。」
とのこと。
そして、
「その大きな嘘を共有する事によって、その裏側(奥)にある「本当」を逆説的に表現する…というのが、僕の考える(お客さんと一緒に作りあげる)芸術の機能な訳です。」
だそう。
なんかとてもわかる!
まず鑑賞者が嘘を受け入れてあげようとするのは好意的に感じようとするという歩み寄りであり、それに対して作者が「世界観を少し破る」瞬間というのは鑑賞者に対する感謝の表れみたいなもので、そこには双方すごく愛があるなあって思います。この現象は美術に於いてもとても重要な魅力だと思います。私は良い絵を見たときにこれがあるのです。
絵「こんなのもどうかな?○△なんだけど」
私「え!あなたすごいよ!それもしかして□×?」
みたいな絵と自分との心の会話があるんです。それが楽しいのです。
ここのところというか、これからしばらくずっとハードな日々が続く模様。
正直制作する時間がありません。生活で精一杯です。
しかし、絵を描かないと畑が違えど真剣に取り組んでいる方々とガチでぶつかれないのも事実なのでやりくりして頑張りますぞ。
日
15
1月
2012
モヤモヤ
まだ年が明けて2週間しか経ってないというのに、悶々ループに体が拒絶反応。優しくしてあげないと…
さっき運転中に、空の低い位置にすごく大きくてキレイな月が見え隠れしてて、なんかウルッときました。
この超真冬に、木や建物や人がみんなうんざり寒さに耐えてる風景のなかで、月(と星)だけハイテンションな感じがして、カッコイイなあって。何より小さな悩みや欲望に踊らされてる最近の自分に反省。まあ色々と忘れた頃に実を結ぶはず。
やっぱり薄塗りにすると抽象が苦にならないなあと再確認…
厚めの絵の具を置いた瞬間の浮いてる感じに妙に冷める。やましい気持ちになるのかもなあ。
例えばイラスト描こうとしたらやましくなるのは私にイメージの着地点がないからな気がするんだけど、それと同じことなのかな。あれもあり、これもありって魔が差して迷宮入りしてくんだなあ。そんなんなら描く意味ないわ!
一枚の絵が完成するかしないかは、四角に対する自信と愛情がずっとあったかどうかだって私は思う。
自分だけでなく、だからいいものには時間を掛けないで出来たものが多いのかも。当たり前のことだけど、結局の所世の中を動かすのは集中力だと思う。クリアな集中力を長く込めれる人が何につけてもプロなんだろな。鍛錬。
あーさくらこさんが素敵すぎるっ…
土
31
12月
2011
大晦日
今年は長い1年でした。
去年・一昨年より楽しいことやドキドキすることがたくさんあったので、振り返るとあっと言う間だったと言えるかと思えばそうでもないんだなあと。まだ2011年なんだ!って途中何回も思った1年でした。転職・個展・引越し等で色んな反省というか次はこうしてみようというものが見えて、忠実に地味に本気で禁欲を強いた後半戦でした。
来年ではないんですが、昔から自分の中で32歳・33歳は成人より大切な節目の年齢だと考えていたので、その時に悔いのないように31歳の2012年で少しでもレベルアップします。
全てに妥協しないでどこまでやれるかYEAR継続!!
すでに折れそうですけどヽ(・∀・)ノ
月
28
11月
2011
きわどいメニュー
1枚の絵に以前の自分の技法と最近の技法を両方取り入れてみたら魅力も単純に倍になるのでは?と安易に思い、秋からやってみてます。
何しろ同じ人間による表現だから、嫌でもまとまるだろうと思ってましたが、その相容れない気持ち悪さったら自分でもビックリでした!でもどうしても、ふんわりとぐにゃぐにゃを融合させてみたかったので、何度か壊して粘ってみたところ、何とか融合できそうな気がしてきました。
音楽で言えば、ゴリゴリでツーバスの高速ナンバーでアコギもアカペラの箇所もあって振り付けもアリでジャンルに分けられない曲みたくしたいんです。食べ物で言えば、ドンキーのパインバーグディッシュとかロイズのチョコがけポテトチップみたいな意外なものが共存した一品にしたい。色んな味がフルコースで順番に出てくるんじゃなくて一つのお皿にいて欲しいなあ。でもバイキングの様にただ並べるんじゃなくて、隠し味程度の控えめさでもなくて、やっぱフルーツの乗ったピザとかサラダみたいなのがいいなあ。でもそれって苦手な人は苦手なんだろうなあ…。でもそのギリギリメニューになり得るポジションってとても愛おしいなあって思います。 芸術に於いてはその異色さって強みなんじゃないかなと思うんです。
日
02
10月
2011
遠回り
昨日鈴木涼子さんのアーティストトークを拝聴。
とても勉強になりました。今作に至るまでのお話やジェンダーへの考え方も順を追って説明して頂いて、楽しく聞くことができました。男性に女性っぽいポーズを取ってもらったり、自らと合成する過程はとても面白そう!と思いました。
「失敗するとわかってても一度試したものを見ないと気が済まない」「正解のコマを知ってても他のコマを動かしたい。で、時期が来たらようやく蓋を開ける」的なお話にまたも心を奪われました…。
あとまた自分について徒然なるままに
「遠回りについて」
私の場合、後回しにしてほっといた物事は結局あとでまた立ちはだかります。
で、あっこれはもう逃げられないなと思ってようやく対処するわけですが、後回しにしただけあってだいたい不得意な物事だし超時間がかかります。
そしてそれを解決しよう・理解しよう・習得しようという当初の目的は手ごたえのないまま履修し終え、代わりに関係のない収穫をたくさんもらったりします。自分を発揮できない状況の中でなんとか引っ張り出した“不得意の中のマシな分野”みたいな。
でもその関係のない予期せぬ賜物こそが、自信であり財産だと思うのです。だって偶然授かった力だから人に教える術もないし。
結局自分は優先した物事の元に戻っていきます。そして“得意”に“不得意の中の得意”を足した分削ぎ落とされたオリジナルの中で残った部分は、切っても切れない自分の核心部分であるとようやく納得できる。そうして遠回りをしてレベルアップをするんだろうなあって思うのです。
火
20
9月
2011
向き合っている人
何もしていない人に限って偉そうだと思う今日この頃。
実際は何もしていない人なんていないので、どちらかと言うと「自分と向き合っていない人」のことですが、そういう人の使う物差しって自分の経験から生まれたものじゃないので、何を言っても信用できない。か、何年も昔にストップして固まってしまった腐った経験の結晶だったり、そんなものを基準に人様を褒めたりけなしたりよくできるなあって思います。自分と向き合っている人は自分のことで精一杯で人のことなんてどうでもいいはず。
最近とても素敵な美術界の方々とお会いしたのですが、あまりに皆さんキラキラしていて、優しくて真面目でひねくれていて、本当に目からウロコでした!
具体的な内容は自分の心だけに留めておきますが、あんなに健全な考え方で美術の道をずっと進んできたなんて、どれほどに強い精神力なんだろうって… きっと大変だったはずなのに、「お前ら若輩者に何がわかる」的な片鱗は微塵も出さずにいてくださって、ただただ仏を見た気がしました。
美術やってる人なんて、認められる・られないに関わらず、小汚くて性格悪くて常に孤独で親不孝者なだけなんじゃないかって数千回疑ってきましたがw、そんなことないそんなわけないって思い知りました(;;)
月
12
9月
2011
くだらないひとりごと
やりたいことができないのと、やりたくないことをやってるのと
どちらが辛いか。これ両方とも究極に辛いですね。
私がどちらが耐え難いかと言えば、やりたくないことをやる方です。
会いたい人に会えないより、会いたくない人に会う方がやはり嫌です。
きっとやれなくても会えなくてもやれるかもしれないし、会える気がするからいいんだろうと思います。ちなみに私はこの心理状態で絵を描くのがベストです。
でも、やりたいことができるなら、やりたくないことをやるのも平気だったりします。
会いたい人に会えるなら、会いたくない人に会っても全然大丈夫です。
でも、やりたいことができない上にやりたくないことをやり、会いたい人に会えない上に会いたくない人に会ったら、やりたいことも会いたい人も全部いらないって思います。
そしてしょうがないから絵でも描いてみるのです。
土
27
8月
2011
さよなら平山ビル
4年半居座ったアトリエ「平山ビル」を無事に退去。休日に数時間いるだけでしたが、思えば大学より長くいたんだなあ。
トイレ無し物件で、他の部屋は倉庫として使われている元診療所という謎の建物でした。色々不便で大変でしたが、広くて集中しやすく自分に合っている空間でした。大事な精神的逃げ場としてお世話になりました。近隣のコンビニや飲食店のトイレも、もう使用しないと思うと若干悲しいです。
でもやはり20畳位ないと、自分自身のオーラで空間がいっぱいになってしまい、客観性が失せがちな気がします。天井の高さに関しても。単に引いて見れるからだけじゃなくて、絵を描く場所には開放感が大事なのかも?とも思います。次の我が4代目アトリエの広さは半分なので、集中の仕方に気をつけようと思います。少なからず、自分が色々な環境でやってみて得た「心構え」を大切にやってきます。
金
12
8月
2011
心境
ただ今アトリエ引越し中です。早く落ち着いて絵を描きたいです…
最近身辺に変化があったので、なんとなく自分の心境と絵の具合について考えました。
日々を4つの心持ちに分けますと、
①前向きに手に入れたい物があり、それに集中できる状態
②満たされていて幸福(戦線離脱)
③孤独(自由)
④絶望(束縛)
振り返ってみると、人に見せたいと思う物が出来たのは、決まって①か④の時です。
しかし、①の領域には他力の後押しがないと行けません。④は絵のことだけ考えれば良い状況ですが、ずっといる根性はなく、しばらくいると③に避難してしまいます。②にしてもやはりずっといるとつまらなくなり、③に足を踏み入れてしまいます。
けど実は③は一番安全な状態なのではないかと思ったのです。最低限の生活が保てて、②よりは立派っぽいと思われたりするもののパッとしない中途半端な状態です。
「③の状態では良い絵は1枚も描けない」というのを意識して、振りでも①でやっていきたいです!
土
30
7月
2011
自分が絵を描くときにないと満足できないもの
私が作品作りに今のところ必要不可欠だと思う要素を書いてみます。
①強コントラスト
②気ままな線
③奥行きの仕掛け
④話し掛けてくる感じが出てるか
①私は多分、モノクロの世界でも不自由なく生きて行けるんだと思います。明度の差に反応してしまうので、単色の彫刻や版画も大好きです。反対に「色彩」は大好きでも手に入れることが出来ない憧れの存在です。では自分が作るときになぜ立体でなく絵画を選ぶかというと、平面の方がイリュージョンも使用でき、体力がなくても対応できるのでやりやすいから、それだけです。
②線(筆致)は私が絵を見る時に一番気持ちいいと感じる要素です。爽快な線を目で追って行ったときに、その他の具象的な要素なり、色面なり、マチェールの主張だったり、色々な作家の仕掛け・効果に出会い、絵の中を一周する。その線の案内に身を委ねるのがとても快感なのです。「アヴィニョンの娘達」は目線の旅が永遠に終わらず、絵の前から離れられませんでした。デュビュッフェの作品なども、筆致をぐるぐるとずっと見ている内に、ただの顔料のキラキラに支配されている自分に気付き、離れると気分がすっきりしているというか、上手く言えませんが。 逆に線が汚い(横暴だ・自信がなさそうだ・堅苦しい)と、まず絵の中に入れず味わう前に帰ってきます。
③奥行については、ここ数年ハーフトーンと少しだけ仲良くなり、隠し味として施すことが楽しくなりました。大学を出てからもしばらくグラデーションとレイヤーによる奥行表現しかできない自分がとても嫌で試行錯誤しました。使ったことのない色相をダメ元で使用してみたり、素材と格闘している内に、コントラスト好きには後回しにしがちな中間色の色面の持つ力が実は効果的なのだと発見しました。これは現在覚えたてなので、毎回使わないと気が済まない状態ですが、また敢えて避けていた透明色も解禁しようと思います。
④ついでに私が好きな絵は「ねえねえ」と話しかけてくる(気がする)ものです。これはきっと必要のない現象なのでしょうけど、私は「作品」対「鑑賞者」が「人間」対「人間」になれたかどうかが、作品の価値を決める一番わかりやすい基準だと思っています。
ただ今アトリエ引越し中です。早く落ち着いて絵を描きたいです…
最近身辺に変化があったので、なんとなく自分の心境と絵の具合について考えました。
日々を4つの心持ちに分けますと、
①前向きに手に入れたい物があり、それに集中できる状態
②満たされていて幸福(戦線離脱)
③孤独(自由)
④絶望(束縛)
振り返ってみると、人に見せたいと思う物が出来たのは、決まって①か④の時です。
しかし、①の領域には他力の後押しがないと行けません。④は絵のことだけ考えれば良い状況ですが、ずっといる根性はなく、しばらくいると③に避難してしまいます。②もやはりずっといるとつまらなくなり、③に足を踏み入れてしまいます。けど実は③は一番安全な状態なのではないかと思ったのです。最低限の生活が保てて、②よりは立派っぽいと思われたりするもののパッとしないという中途半端な状態です。「③の状態では良い絵は1枚も描けない」というのを意識して、振りでも①でやっていきたいです!
HARUKA NUKADA
painting works

